プロスピA 門田博光

プロスピAの 門田博光 の全シリーズの能力・守備力・特殊能力のデータをまとめています

門田博光(Sランク)の基本情報 - 2025 Series2 Special (OB第1弾)

守備適性 守備適性:
コスト コスト: 37
球団 球団: 福岡ソフトバンクホークス
投打 投打: 左投左打
最大スピリッツ 最大スピリッツ: 5000
登場シリーズ 登場シリーズ: 2025 Series2 Special (OB第1弾)
弾道 弾道: アーチスト

能力表 選手の能力表

特訓Lv.10の時の最大ステータスです。 A以上の値は赤色グラフで表示されています。

能力値レーダーチャート

能力値詳細

ミートパワー走力捕球送球肩力
81
A
84
A
54
D
58
D
47
E
38
F

打撃能力

219 / 300
(ミート + パワー + 走力)

全能力

362 / 600
(全6能力の合計)

ポジション適性

ポジション適性値ランク
ファースト
セカンド
サード
ショート
レフト53D
センター
ライト39F
キャッチャー

特殊能力

超アーチスト威圧感・改フルスイング
基本特殊能力: アーチスト

高角度高スピンの打球が打てる

  • 弾道がアーチストに変化
  • パワー(中)UP
基本特殊能力: 威圧感

圧倒的な存在感で相手を威圧する

  • 相手投手にプレッシャーを与える
  • ミート小UP
  • パワー小UP
  • 投手の制球中DOWN

長打狙いでバットを振り切る

  • ミート小DOWN
  • パワー中(大)UP
  • ベストピッチによる打球速度の減衰を受けづらくなる

育成データ

Sランクの選手を特訓した時のデータです。レベル0からレベル10までを表示しています。

レベルミートパワー走力
0
72
B
75
B
48
E
1
73
B
76
B
49
E
2
74
B
77
B
49
E
3
75
B
78
B
50
D
4
76
B
78
B
50
D
5
76
B
79
B
51
D
6
77
B
80
A
51
D
7
78
B
81
A
52
D
8
79
B
82
A
52
D
9
80
A
83
A
53
D
10
81
A
84
A
54
D

門田博光の過去のシリーズ

2023 Series2 Special (OB第3弾)
2023 Series2 Special (OB第3弾)
スピリッツコストミートパワー走力捕球送球肩力
440034
80
A
84
A
52
D
58
D
47
E
38
F
ファーストセカンドサードショートレフトセンターライトキャッチャー
EF
特殊能力:
超アーチスト チャンス・改 存在感
2021 Series2 Special (OB第2弾)
2021 Series2 Special (OB第2弾)
スピリッツコストミートパワー走力捕球送球肩力
380031
79
B
84
A
52
D
58
D
47
E
38
F
ファーストセカンドサードショートレフトセンターライトキャッチャー
EF
特殊能力:
超アーチスト チャンス・改 存在感
2019 Series2 Special (OB第2弾)
2019 Series2 Special (OB第2弾)
スピリッツコストミートパワー走力捕球送球肩力
320028
79
B
84
A
50
D
58
D
47
E
38
F
ファーストセカンドサードショートレフトセンターライトキャッチャー
EF
特殊能力:
超アーチスト チャンス・改 存在感
2016 Series2 Special (OB第2弾)
2016 Series2 Special (OB第2弾)
スピリッツコストミートパワー走力捕球送球肩力
230023
78
B
84
A
50
D
58
D
47
E
38
F
ファーストセカンドサードショートレフトセンターライトキャッチャー
EF
特殊能力:
超アーチスト チャンス

プロスピAの門田博光の全シリーズのデータをまとめています。 最新版のデータ確認や過去のシリーズのデータの比較にお役立てください。

門田博光(かどた ひろみつ、1948年2月26日生まれ – 2023年1月24日没)は、奈良県五條市出身の元プロ野球選手(外野手・指名打者)、監督、解説者です。1969年ドラフト2位で南海ホークスに入団し、強打の外野手として頭角を現しました。通算本塁打567本、通算打点1,678は共にNPB歴代3位を誇り、長きにわたり球界屈指のスラッガーとして君臨しました。晩年も衰えを見せず40代に入ってからも本塁打を量産したことから「不惑の大砲」「中年の星」と称され、豪快な打撃スタイルから「ポパイ」の愛称でも親しまれました。南海一筋で活躍したのち、オリックス、ダイエーでもプレーし、引退まで現役生活23年を貫きました。2006年に野球殿堂入りを果たし、2010年からは大阪ホークスドリームの監督も務めました。努力と精神力で大記録を築き上げた名打者として、日本プロ野球史にその名を残しています。